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現場仕事と仲間のこととか、たまにイデオロギー的なことをつれづれに。 読んだ本、すきな音楽やライブのことだとか。 脈絡無く戯言を書き殴る為の、徒然草。
2024/05/19/Sun
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2010/03/18/Thu

サワムラのこの声との付き合いは、4歳のときにある日突然はじまった。
この声は運命を巻き込んで、性格も趣味嗜好も人生も変えていくことになった。


先の尖ったフォークを突きつけて、彼女は云った。
「そんなに厭なら、これで声帯を切り裂きなよ。ほら、ノドに突っ込んでさぁ」


始まりは何だったか忘れた。
けど、4歳の誕生日を迎えてすぐの、冬の日だったことは覚えている。
手が震えて。云われたとおりに出来ないことが、悔しかった。
フォークは、眼前でギラリと光っていた。


声を失ってから数日。
自分の声が戻ってくることは無かった。
代わりに出るようになった音は、酷く掠れた低い声。


実家は自営業のため当時電話の取次ぎをやっていたのだが、この声の所為でお客がビビッて電話を切ってしまう事例が相次いだ。

彼女の考えた対策は、今考えれば滑稽。



年の離れたアニキが電話を受けていることにする。



私はそれから、架空の兄を受話器越しに演じることになった。
家を訪れたお客は、玄関から見え隠れする私を見て、「あら? お兄ちゃんは外出中?」などと平気で云う。
私は声も出さずに会釈するだけ。
だって兄は「私の声」なんだから。


しゃがれた声を持ってから、誰にも「女の子」として見られなくなった。


この声に似合うように合わせていってたら、言葉遣いや喋り方も段々ガサツになってきた。
この声で「わたし」と云うと笑われるので、自然に「おら、おれ」と云うようになっていった。
友人は男の子ばかりになり、ドスを利かして喋ればケンカになる。売られたケンカは全部買って、いつしか喧嘩番長になっていった。

見た目で判断されるようなことは、大抵は声で判断されることだった。

男の声で男らしく過ごすことは当たり前のことになっていたし、大抵は周囲もそういった対応だった。
クラスで男子の集団に属していても、女子からの批判を浴びることは全く無かった。
それはきっと、「オトコの中にいる女」ではなく「男みたいな女」として見られていたからだろう。
オンナの敵はオンナであって、オトコでは敵にはなりえないのだ。

誰も、人の内面なんて見ようとは思わない。
外見で判断するとは、まさにこのことだと思った。


年月が流れて。



孔の開いた声帯も治癒されたのか、はたまた年相応になったのか、単に慣れてしまったのかは解らない。
けどたぶん、今は普通の声を手に入れたんだと思う。
でも、この生き方を長年やりすぎていて、身に染み付きすぎていて、なかなか抜け出せない。


女の世界には今更入れないし、入りたいとも思わないのだが、疑問はある。


一体、オンナの世界ってどうなっているのだろう?




生涯、永遠のナゾだ。

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2009/12/09/Wed
家族に血の繋がりは要らない。







夫婦は赤の他人であることが理想ならば、子供だって赤の他人であることが理想だ。



子供は親を選んで産まれてこれない。



こんなセリフが産まれた経緯は、ひょっとしたらそんなとこにあるのかも知れない。







紙の上の約束は、紙の上で無くすことが出来る、薄っぺらなものだ。





だから夫婦はお互い努力して寄り添い合う。







血の繋がった親子だから縁が切れることはないから。と比較して喩え話をし、甘えた関係を続ける親子が世の中にごまんといる。



親子だって一卵性双生児だって、それぞれ別の人間で、つまるところ「他人」だ。





相手を見返ることもろくにせず、ただエゴを押し通すだけ。



そんな甘えが許されると、勘違いしている。

そして、多くの人はそのことに気付いているようで、解っていない。







血の繋がりは厄介だ。







文字通り、切っても切り離せない。



遺産は正も負も平等について回り、しかも自分で選ぶことが出来ない。







お互いが、その時の年齢のもと、責任を持って家族を選べたなら。







どんなに世界は素晴らしいだろう。











いつか子供に胸を張って、





うちらはみんなお互いを選んで家族になったんやで、



お母さんとお父さんが家族になりたいと思って出会ったように、あんたとも出会ったんやで。



うちらはみんな、同じ関係と気持ちで結ばれた、ステキな家族なんや。



って仕合わせの団欒で話してあげたい。









…物心ついたころからずっと考えてる理想の世界と、長野まゆみ的な近未来。

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2009/12/08/Tue
少しずつ角が取れてって、所謂性格がまるくなることが大人になることだとしたら、一生大人になんかなりたくない。



いつまでもトゲトゲしてたいわけやない。



ただ、赦せないことを解っていたはずなのに、安易な上辺だけの感情と一見良好で当たり障りない関係を築くために妥協したくないだけ。



赦すことが大人だなんて、ただの勘違いだ。

それは弱い心が見せた、妥協に過ぎない。



自分や、周りの人間を納得させて、弱い心から守るための、妥協。





決して赦さないこと。

それを守りぬくことは、時に辛くきっと骨が折れる。



所謂大人というやつは、ある程度都合のいいように演技が出来るもので、あたかもそれが本心のように錯覚させることが出来る。自分の、心さえも。





忘れてはならない。





誰の得にならなくても。

どんなことがあっても、あの選択をしたことを一生掛けて後悔してもらうためには、赦すわけにはいかない。





ひとのやさしさや、大人になることを、ひと括りにして考えることは出来ない。



端から見れば、きっと不器用でバカな人間に写るのだろう。

上から目線で、いつかきっと解るときがくる、と云っている輩には云わせておけばいい。

理解されようなんて、毛頭考えていない。







赦さないこと。



これが、こころのやさしさだと信じてる。

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サワムラヨウコ
自己紹介:
二十代半ば(から始めたこのブログ・・・2014年現在、三十路突入中)、大阪市東成区出身。
乗り物の整備をしている、しがないサラリーマン。
3度の飯より睡眠、パンクなライブ、電車読書、などを好む。
この名前表記のまま、関西小劇団で素人脚本家として細々と活動中でもある。

1997年頃~2006年ごろまで、「ハル」「サワムラハル」のHNで創作小説サイトで細々とネットの住民してたがサーバーダウン&引越しによるネット環境消滅が原因で3年ほど音信不通に。。。
あの頃の自分を知っているヒトが偶然にもここを通りかかるのはキセキに近いがそれを願わずにはいられない。
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