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現場仕事と仲間のこととか、たまにイデオロギー的なことをつれづれに。 読んだ本、すきな音楽やライブのことだとか。 脈絡無く戯言を書き殴る為の、徒然草。
2024/05/19/Sun
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2013/08/02/Fri
久々に続きをアップです。
でも実はこれ、前の話書いたあと割と直ぐ出来てたんですよ。
暑くてPC開くのサボってたら、こんなに月日が経っちゃいました。
月日が流れるのって早いね。怖いね。


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「おやまぁ、誰かと思ったら。珍しいこともあるもんだね」
 ドアを開けた喜久子さんが派手に声を上げた。そしてすぐさま奥の居間に向かって「ヒロくん、大佑が帰って来たよ」と叫ぶ。
「どうしたんだい、こんな平日に。偶にはお母さんのお墓にも顔を出しなさいね。どうせ行ってないんだろ。今日会社は休みなのかい、」
 お茶でも淹れるからお上がり、と言いながらも次々と質問をぶつけられそうな口ぶりで急かされ、やっぱり帰ってくるんじゃなかったかも、と俺は早くも後悔する。
 居間に入ると、オヤジがソファに座りテレビを見ていた。キッチンカウンターの端に小さな荷物を降ろす。
「おお、ダイか。どうした」
 オヤジも、喜久子さんと同じセリフを言った。でも、俺を見るなり表情は明らかに緩むのが判る。
「別に。特に用はないけど、どうしてるかなーと思って」
 入り口に立ったまま、言葉を継ぐ。少し、胸が痛んだ。盆に湯呑と急須を乗せて運んできた喜久子さんが、笑うように言った。
「大佑、何そんなとこで突っ立ってんの。お茶が入ったからこっち来て座りなさい。ほら、ヒロくんも」
 俺はこの人の、こういう母親ぶったような態度が苦手だ。本来ならこの人は俺のばあさんであって、母親ではない。それにもっと言うと、血の繋がりだって一切ないのだ。でも、物心付いた頃から喜久子さんはこの家にいて、こんな調子で俺を呼び捨てにし、まるで母親のように振る舞っていた。一方、本当の母親には「ダイちゃん」と呼ばれていた。一見、他人から見たら可愛がられているように見られるかもしれないが、俺はそれがすごく嫌だった。友人に聞かれた際、恥ずかしいからではない。距離を置き、遠慮している姿勢に思えて、寂しく感じたからだ。
 俺の幼いころ、喜久子さんは母さんにつらく当たっていた。料理の味付けが塩辛いだの、自分の歯ブラシだけが汚れているのにわざと変えようとしないだの、とにかく何かにつけ難癖を付けたがった。それは一般的にどこの家庭にでもある嫁姑問題なんだろう、と俺は子供ながらに考えていた。触らぬ神に祟りなし。そう思い、家の中で戦争が勃発しているときはなるべく顔を目を合わさないように自室に籠り、女ふたりを避けて過ごした。うちの戦争はいつも冷戦で、一見すると判りにくい。度々それと気付かず触れてしまい火の粉を食らうこともあったが、年を重ねるにつれ、段々読めるようになってきた。本当は、こうやって空気を読み、人の顔色を窺いながら遣り過ごすなんて、俺の性分に合っていない。大声で怒鳴り立て食器棚を薙ぎ倒して窓ガラスを破壊し、ふたりの目を、特に、喜久子さんの目を覚まさせてやりたい衝動に何度も駆られた。けど、そんな異常な行動は実行には移せない。実行に移せば俺は自分を抑えられずにふたりを殺してしまうかもしれない。そんな妄想に怯えた。実際、当時喜久子さんに殺意を懐いていたのも事実だ。
そうこうしているうちに、母さんが病に倒れた。乳癌だった。癌細胞なんて人間誰でも持っているものだと理解はしているが、俺にはストレスによる発症に思えてならなかった。若い人の癌の進行は早い。三十八でこの世を去った時、俺はまだ十四だった。母さんを殺したのは、この人だ。口には出さなかったけれど、俺がそう思ったのは言うまでもない。
 そんなウチの家族構成が特殊だと知ったのは、十八の時。子供の頃から周りの家と自分家が違うってことには薄々気付いてはいたのだが、まさかこんなにも可笑しなことになっているとは思いもよらなかった。きっかけは、公的資格取得のため、戸籍謄本を取りに行った時のこと。手に入れた書類を見て違和感を覚えた。いくら見慣れない文書とはいえ、それがおかしいってことくらい、俺にだって判った。抄本ではなく、謄本の方には一世帯全員の名前が記載されているはずなのに、その書類には母親の名前がどこにも載っていない。死亡したのなら除籍として×印で名前は残るはずなのに、妻の欄がそもそも無いのだ。そして一番驚いたのは、俺がオヤジの養子として記載されていたことだ。それも、当時からたった四年前の日付で。俺は生まれた時から同じ両親の元で育ってきたというのに、だ。
 悩んだ末、オヤジに問いただすとケロリとした表情で「俺と母さんは元から家族だったからなぁ。婚姻届け出すの忘れてたんだよ」なんて呑気な、そして意味不明な答えが返ってきた。俺が訊きたいのはそんな答えではない。それに、肝心な疑問が何一つ解消されていない。そして更に悩んだ末、喜久子さんに相談すると拍子抜けするほどあっさりした態度で大笑いしながら、こう言われた。
「なんだい、お前。知らなかったのかい。お前の父さんと母さんはね、姉弟として同じ家で育った、いとこなんだよ」
 さらに訳が判らなくなった。
 何度も説明されやっと理解出来た真相は、こうだ。
つまり、母さんとオヤジは元々いとことして互いの家に生まれた。しかし母さんの父親が妻との死別により再婚し、新しく若い妻が出来た。その若い新妻というのが喜久子さんで、彼女は夫の連れ子と同じ家で暮らすのを嫌がったのだ。そこで母さんは父親の弟の家に里子に出されることになる。その家にいた実子というのがオヤジだったわけだ。
姉弟になったといってもふたりは当時中学生。思春期真っ只中で、周りの大人たちに振り回される結果になった少年少女が恋に落ちるのは自然な流れだった。そうして一緒になったはずのふたりだが、元々苗字も同じだったし一緒に住んでいたし親は同じ人間だしで、役所に書類を出すことをすっかり忘れてしまっていたらしい。そのまま生まれた子である俺は母さんの戸籍に入り、非嫡出子として記載されたまま密かに時を過ごしていた。母さんの死亡によって戸籍上行き場のなくした俺は十四年の歳月を経て、やっとオヤジと親子関係を結んだわけだ。それも、養子として。
喜久子さんがオヤジのことを「ヒロくん」と呼ぶのは元々親戚の子だからであって、溺愛している愛息子というわけではない。俺は、この話を聞くまでずっと勘違いしていたことに気付いた。喜久子さんはオヤジの母親ではなく、母さんの実家の継母だったのだ。そして、継母と言ってもふたりが親子として同じ家で過ごしたことはなく、だから母さんは彼女のことを「喜久子さん」と名前で呼んだし、喜久子さんも母さんを「佑香さん」とさん付けで呼んでいた。誰に教えられたわけでもないがきっとテレビドラマなんかの影響で、そのように名前にさん付けで呼び合う関係は嫁と姑だと思い込んでしまっていた。でも、孫の世代に当たる俺までもが喜久子さんを名前で呼ぶようになったのは、よそよそしさや母さんの真似をしたからではない。単に、俺が生まれた当初まだ三十代だった彼女を「おばあさん」と呼ばせるにはさすがに抵抗のあった母さんが、名前で呼ぶように仕込んだだけのことだった。
「仕事は順調にいってるのかい。まだあの貿易会社に勤めているの、」
 ぬるい緑茶を啜りながら、テーブルに置かれた食べたくもない菓子に手を伸ばす。チョコレートだった。クッキーの類いかと思ったのに拍子抜けだ。緑茶には確実に合わない。でも口に入れる。
「まぁ、ボチボチ。あと、前にも言うたと思うけど、うちの会社、貿易会社やないから」
「そうだったかしら。でも似たようなもんなんでしょ。港で輸出業やってるっていったら、貿易会社ってイメージが先行しちゃうからしょうがないじゃない」
 年寄りの悪い癖と言うか。この人は昔からこうだ。人の話なんか聞いちゃいない。
「そうそう。今年は佑香さんの十三回忌だからね。お盆にはお寺さんも呼ぶし、大佑も忘れずに休み入れて帰ってくるのよ」
「……判ってますよ」
 自分の母さんのことだ。言われなくても気にはしている。ただ、普段はこの近寄りがたい状況の所為で、実家から足が遠のいているだけ。
 佑香さんは蘭がすきだったから、見頃の花を用意しましょうね、と喜久子さんは付け足した。人は、死人には優しくなれるというけれど、それを生前やっていてくれたら良かったのに。と思わずにはいられない。喜久子さんのこういう態度を見るのが嫌なのだ。いちいちそうやって考えてしまって、鼻につくから。
「ダイ、お前今夜は泊ってくんやろ。一杯飲まへんか、」
 冷蔵庫の奥をごそごそしてると思ったら、オヤジは缶ビールを取り出した。
「悪ィけど俺、単車で来たんだわ。それに明日も早いし、夜には帰るわ」
 嘘を吐いた。明日も休みだ。けど、これぐらいの小さな嘘で心なんて痛まない。互いが傷付かないために必要な嘘だから。案の定、オヤジは寂しそうな顔をして、そうか。と一言だけ言った。それ以上はもう何も言う素振りは無い。
「大佑、カバンがブーブー言ってるわよ。電話じゃないの、」
 喜久子さんに言われてスマホを確認すると、崔からメッセージが届いていた。輸出課若手飲み会なう。ご丁寧に男四人で酒盛りしてる写真付きで。
俺はダイニングテーブルを囲むふたりを振り返った。喜久子さんとオヤジは下らない世間話をぽつぽつとしながら、茶を飲んでいる。時折聞こえてくる言葉は、大佑のメールの相手ってやっぱり彼女かしら。いつ紹介してくれるんだろうね。時期が来れば、そのうち自分から言うてくるやろう。なんて、年頃の息子を持つ親にありがちな会話を繰り広げてる。でも、よく考えたらこのふたりも、おかしな組み合わせなのだ。いくら親戚関係と言えども、血の繋がらない伯母と甥。歳も、そんなに違わないはずだ。一緒に暮らしていて不都合はないのだろうか。俺は画面に視線を戻した。写真に写った崔は、仕事中でもないのに相変わらず帽子を被っている。作業帽によく似た、紺色のキャップ。
 実家なう。
 崔の真似をしてレスを付けた。写真の代わりに、大仏と鹿のイラストのスタンプを付けて。



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ややこしー感じになってしまいましたが・・・・
これ、モデルはもちろんウチの親族です。
世の中にはいろんな人がいるもんですからね。


1話・旧友との再会、2話・職場、3話・一人暮らしの家、そして今回4話・実家の家族。
さて、5話は?

そろそろ終わります。
このショートストーリーは、誰にでもある冴えない日常と人生の中にあるほっこりした出来事を書きたくて書いてます。
小さなことだけど、何も成就しないけど、でも其れを「しあわせ」と感じることが出来ることってある意味才能だし、仕合せなんだなぁ。
と、いうお話です。

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読みました~(^_^)/~
真のやさしさ~、読ませていただきました。
なんだか、すごく複雑な家族構成ですね。確かに、色々な方がいるものです。
私は物語を書くに当たり、家族構成を考えるのが苦手なのですが、サワムラさんはきちんと整理して描いてますね。
主人公が喜久子さんに抱く感情、母に対して、父に対して思うこと。もちろん、主人公側からは父がどう思って喜久子さんと暮らしているのかわからないし、同じ家で暮らしていた母と関係を結ぶこともどう思っていたかは想像するしかない。
複雑ですが、読みやすかったですよ。
この話は、日常風景に近いですね。劇的な終わり方になるのか、どうなるかはわかりませんが、どう落ち着くのか楽しみにしております。

もう夏も終わりそうですね。
秋は創作日和です、がんばりましょうね!
高瀬涼 2013/08/27(Tue)08:14:53 編集
>高瀬さん
こんにちは!
忙しい中読んで下さり、またコメントも残して頂いて恐縮です。ありがとうございます!

実は割りと連日、高瀬さんのブログにはお邪魔していて、創作活動を進めている足跡を見て自分のヤル気を盛り上げようとしています(笑)
何千字、とか、文字で自分の書いたものを見たことが私はないので、イマイチぴんとは来なかったのですが、何千字も文字を紡ぐ行為ってすごいですよね、考えてみれば。

さて。私は家族との確執に悩んできた人生だったせいか、物語を紡ぐときはついつい登場人物の育った背景を考えてしまいます。
本当は、平凡でお気楽な主人公を出したいのですが、ついついややこしい設定を考えてしまうという……結構、少女マンガにもありがちな気がしますが(笑)
普通の家庭、が逆に分からないから、そっちの設定にしたほうが嘘臭くなるような気がしてるのかもしれないです。
でも、どんな背景であれ、主人公には平凡で仕合わせな人生を送って貰いたいなぁ、と思っている親心的な作者の意図も、常にあります。だから、基本的に劇的展開は私の作品ではあまり起きないという。(言っちゃった!)

いまは次の舞台の脚本を水面下で書いていましたが、そちらももうすぐ仕上がるので、次はこの短編を終わらせます!
夏のうちに。(断言)

サワムラ 2013/08/27(Tue)19:08:19 編集




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二十代半ば(から始めたこのブログ・・・2014年現在、三十路突入中)、大阪市東成区出身。
乗り物の整備をしている、しがないサラリーマン。
3度の飯より睡眠、パンクなライブ、電車読書、などを好む。
この名前表記のまま、関西小劇団で素人脚本家として細々と活動中でもある。

1997年頃~2006年ごろまで、「ハル」「サワムラハル」のHNで創作小説サイトで細々とネットの住民してたがサーバーダウン&引越しによるネット環境消滅が原因で3年ほど音信不通に。。。
あの頃の自分を知っているヒトが偶然にもここを通りかかるのはキセキに近いがそれを願わずにはいられない。
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