現場仕事と仲間のこととか、たまにイデオロギー的なことをつれづれに。
読んだ本、すきな音楽やライブのことだとか。
脈絡無く戯言を書き殴る為の、徒然草。
2010/03/10/Wed
真っ当な仕事がしたいな、と何となく思い出したのは、それまでしていた仕事に暇が出来て、それでも学校に顔を出す気には成れなくなっていた頃のことだ。音楽をやるのも、授業の単位を取るのも、何をやるのもやる気が出なくて、おまけに仕事の依頼も来なくなって、毎日が何をすることもなく淡々と過ぎていってしまっていた。いい年をして、日長家でごろごろしていては家の人間に怪しまれると、毎日当てもなくぶらついて、している事と云えばパチンコを打っているだけ。そんな下らない日々に、終止符を打ちたかったのだ。多分。
独言のように何気なく、バンド仲間の健一郎に、仕事紹介してよ、と云ったら、彼が常勤のパン工房以外にしているコンビニのアルバイトが、丁度人手が足りなくなっていると紹介された。時給は、六百八十円。深夜料金でも、八百五十円。人手が足りなくなっているのは深夜帯だから、俺が入る時間帯は八百五十円になる。
つい先月まで、週三、四で入っていた仕事が、数十分で五千円程度の稼ぎになっていたことから考えると、やる筈がない、というより、出来る筈がない条件下だ。それでもその時の俺は、実にあっさりとこの条件を飲んだ。
稼ぎの問題ではなく、この退廃していく退屈な日常を変えてくれる環境が欲しかったのだ。切実に。
でもそれは、運命だったのかも知れない。なんて、後から思った。採用されて働き始めたこの場所で、俺は、恋に墜ちたからだ。した、ではなく、墜ちた、と云うのが実にしっくり来る。一目惚れ、なんて世間ではよく云うけど、それとは違う何かが、彼女と出逢った瞬間に胸の奥で弾けたのだ。小っ恥ずかしいことを云っていると云われそうだが、こんなことは滅多にない。というより、もう来ないかも知れない。否、きっと、来ない。だってこれが、俺の最後の恋なんだから。
その娘は、俺が初めての勤務に入った時の入れ代わりで働いていた。夜の十時から一時までの三時間勤務の時間帯で働いている人だった。紹介した手前、気を使ったのか心配したのか、様子を見に来た健一郎が、割と親しげに彼女に話しかけていた。
初めまして、と最初に口を開いたのは、彼女の方だった。一時間だけ勤務時間が被るんですよ、とその時初めて聞かされた。骨の奥底で、何かが鳴った。何か、今までずっと突支えていた物が取れて、視界が急に明瞭になった感じが、した。
青橋八重、と印刷された名札を付けた女の子は、俺より随分幼く見える。化粧っ気のない顔が、そう見せたのかも知れない。健一郎がやってきて、「青橋さんは、俺と同じ十九なんスよ」と紹介した。
印象的だったのは、幼さを宿した顔から放たれる、意外に低音で掠れた声。特別愛想も良くなく、然して美人でもない彼女の何処に魅かれたのか、自分でも判らない。けど、半端丈のズボンに短いレザーのブーツ、夏なのに唐草模様の薄手の長袖シャツを着て、紅い水玉模様のスカーフを首に巻いた、何処か変わった服装の彼女からは、懐かしい馨りがした。
これが恋だ、と思ったのはその少し後になるが、その前もそれからもずっと、俺は彼女と喋る事は無く日々は過ぎていった。週五勤の彼女と、週三のペースで顔を合わせていたのだが、一ヶ月経って判ったことと云えば、彼女の名前の「八重」は、ヤエ、ではなく、ハエ、と詠むと云うことくらいだ。
無口な子なのか、と思っていた。でもそれはすぐに、そうでもない事が判った。コンビニのバイト仲間の親睦会で、「ヤエちゃん」という愛称で呼ばれながら、他の仲間と意外によく話していたからだ。
意外だったのは、それだけじゃなかった。焼酎を何杯も追加して平気な顔で話し続けるハエちゃんは、仲間内の誰よりも酒に強いらしい。酒が飲めない俺は、彼女と楽しく呑み交わすことが出来ないのを残念に思いながら、烏龍茶を流し込んで朝になるのを待った。
その朝の事だ。何を思ったのか俺は、単車を置いてきていたハエちゃんを半ば強引に車に乗せ、家まで送り届けたついでに、告白地味たことを口走ってしまったのは。
少し困った表情のハエちゃんは、付き合う事はたぶん出来ない、と云って。けど、俺のことはすきだと云ってくれた。
「レンアイって、お互いを認め合う事やんな」
ハエちゃんは云った。
「恋人がいる人って云うのは、少なくともその相手には自分という存在を認めてもらっていて、必要とされているってことやと、うちは思うねん。誰にも必要とされずに生きていけるほど、人間は強くないから。だから人は、コイをしたがるんや。自分の為だけに息をしている自分を、必要だとコトバにして云ってくれる人が一人でも確認できれば、うちらは楽に呼吸をすることが出来るようになるから」
ハエちゃんはちょっと変わった子だ。
身形も、声も、考え方も、名前も、バイトをしている時間帯も。
そんなところに、魅かれたのかもしれない。良く判らないけど、ただひとつはっきりしている事は、俺はハエちゃんがすきで。何らかの形で結ばれた絆が、欲しかった。それはもしかしたら、「コイビト」というありふれた展開でなくてもいいのかも知れない。
「人に必要とされるよーな人間や無いですよ、うちは」
そう云ってハエちゃんは、はにかんだように笑った。
「トンさんは、ええ人やし、男前やから、うちなんか相手にせんでも、もっとええ彼女が出来ますよ」
「でも俺は、青橋さんともっと一緒にいたいな。もっといろんな話をしてみたい。……駄目、」
何かに後押しをされているようで、俺は普段からは考えられないような科白が、すらすらと口を吐いて出てきていた。表情を崩したハエちゃんは、俺の眼を直視した。
「うちも、もっといろいろ話したいですよ。トンさんのことは、すきやから」
言葉は魔法だ。
否定的なことを云われていても、すき、という言葉を聞いただけで、こころが少し暖かくなる。それはきっと錯覚なんだろうけれど、それが続いていくうちに、光が見えるかもしれないことを期待してしまうのは、罪ではない筈だ。
「じゃあさ、その『トンさん』って云うの、止めようよ。後、敬語も」
調子付いた俺は、自分は「ハエちゃん」と呼ぶことに決めて、切り出した。いきなり名前では呼び難いと、ハエちゃんは俺に渾名は無いのか、と云った。渾名らしい渾名で呼ばれたことは、実際ほとんど無い。友人の大半が名前を呼び捨てにしてくるし、学校の連中は苗字に「さん」付けだ。唯一、本当の名前で呼ばれない時があると云ったら、最近依頼の来ないもう一つの仕事の内だ。其処では、誰もが必ず愛称で呼び合い、本名は決して判らない。俺も、仕事中は名前の字を読み代えて名乗っている。暫く考えた末、俺は『タケ』と呼ばれていることもある、と話した。
「じゃあ、タケ兄ちゃん」
何それ、と聞き返した俺に、ハエちゃんは大真面目な顔で答えた。
「だって、うちより四つも年上の人を、呼び捨てには出来ませんよ」
敬語は苦手やから、すぐに消えると思いますけどね。と云ってはにかんだハエちゃんは、とても可愛かった。
「年なんか気にしてたら、話しなんて出来ないよ。俺は、ハエちゃんと同じ位置に立って話がしたいから。いきなりは思えないかもしれないけど、同い年の男だと思ってよ」
それを聞いてハエちゃんは、笑った。
「そうやなぁ。タケ兄ちゃんは、十代みたいな恰好してるしなぁ」
それは、派手な日本語ロゴの入ったT-シャツに、草臥れたスニーカーとジーパンを履いて、ターバンを頭に巻いた、バンドマンな服装の俺を云ったのだろう。
ハエちゃんの云った「すき」は、完全に友達の領域を出てはいない。下手をすれば、彼女にとって俺は、単なるちょっと仲のいいバイト仲間なだけなのかも知れない。でも。ハエちゃんの笑顔を見てると、思うんだ。
焦らなくたっていい。ゆっくり、時間を掛けて親しくなれれば、きっと素敵なラストが用意されている筈だから。
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むかしむかしに書いた物語を思い出しました。
昭和末期。まだ、五百円札が使われていた時代の物語です。
独言のように何気なく、バンド仲間の健一郎に、仕事紹介してよ、と云ったら、彼が常勤のパン工房以外にしているコンビニのアルバイトが、丁度人手が足りなくなっていると紹介された。時給は、六百八十円。深夜料金でも、八百五十円。人手が足りなくなっているのは深夜帯だから、俺が入る時間帯は八百五十円になる。
つい先月まで、週三、四で入っていた仕事が、数十分で五千円程度の稼ぎになっていたことから考えると、やる筈がない、というより、出来る筈がない条件下だ。それでもその時の俺は、実にあっさりとこの条件を飲んだ。
稼ぎの問題ではなく、この退廃していく退屈な日常を変えてくれる環境が欲しかったのだ。切実に。
でもそれは、運命だったのかも知れない。なんて、後から思った。採用されて働き始めたこの場所で、俺は、恋に墜ちたからだ。した、ではなく、墜ちた、と云うのが実にしっくり来る。一目惚れ、なんて世間ではよく云うけど、それとは違う何かが、彼女と出逢った瞬間に胸の奥で弾けたのだ。小っ恥ずかしいことを云っていると云われそうだが、こんなことは滅多にない。というより、もう来ないかも知れない。否、きっと、来ない。だってこれが、俺の最後の恋なんだから。
その娘は、俺が初めての勤務に入った時の入れ代わりで働いていた。夜の十時から一時までの三時間勤務の時間帯で働いている人だった。紹介した手前、気を使ったのか心配したのか、様子を見に来た健一郎が、割と親しげに彼女に話しかけていた。
初めまして、と最初に口を開いたのは、彼女の方だった。一時間だけ勤務時間が被るんですよ、とその時初めて聞かされた。骨の奥底で、何かが鳴った。何か、今までずっと突支えていた物が取れて、視界が急に明瞭になった感じが、した。
青橋八重、と印刷された名札を付けた女の子は、俺より随分幼く見える。化粧っ気のない顔が、そう見せたのかも知れない。健一郎がやってきて、「青橋さんは、俺と同じ十九なんスよ」と紹介した。
印象的だったのは、幼さを宿した顔から放たれる、意外に低音で掠れた声。特別愛想も良くなく、然して美人でもない彼女の何処に魅かれたのか、自分でも判らない。けど、半端丈のズボンに短いレザーのブーツ、夏なのに唐草模様の薄手の長袖シャツを着て、紅い水玉模様のスカーフを首に巻いた、何処か変わった服装の彼女からは、懐かしい馨りがした。
これが恋だ、と思ったのはその少し後になるが、その前もそれからもずっと、俺は彼女と喋る事は無く日々は過ぎていった。週五勤の彼女と、週三のペースで顔を合わせていたのだが、一ヶ月経って判ったことと云えば、彼女の名前の「八重」は、ヤエ、ではなく、ハエ、と詠むと云うことくらいだ。
無口な子なのか、と思っていた。でもそれはすぐに、そうでもない事が判った。コンビニのバイト仲間の親睦会で、「ヤエちゃん」という愛称で呼ばれながら、他の仲間と意外によく話していたからだ。
意外だったのは、それだけじゃなかった。焼酎を何杯も追加して平気な顔で話し続けるハエちゃんは、仲間内の誰よりも酒に強いらしい。酒が飲めない俺は、彼女と楽しく呑み交わすことが出来ないのを残念に思いながら、烏龍茶を流し込んで朝になるのを待った。
その朝の事だ。何を思ったのか俺は、単車を置いてきていたハエちゃんを半ば強引に車に乗せ、家まで送り届けたついでに、告白地味たことを口走ってしまったのは。
少し困った表情のハエちゃんは、付き合う事はたぶん出来ない、と云って。けど、俺のことはすきだと云ってくれた。
「レンアイって、お互いを認め合う事やんな」
ハエちゃんは云った。
「恋人がいる人って云うのは、少なくともその相手には自分という存在を認めてもらっていて、必要とされているってことやと、うちは思うねん。誰にも必要とされずに生きていけるほど、人間は強くないから。だから人は、コイをしたがるんや。自分の為だけに息をしている自分を、必要だとコトバにして云ってくれる人が一人でも確認できれば、うちらは楽に呼吸をすることが出来るようになるから」
ハエちゃんはちょっと変わった子だ。
身形も、声も、考え方も、名前も、バイトをしている時間帯も。
そんなところに、魅かれたのかもしれない。良く判らないけど、ただひとつはっきりしている事は、俺はハエちゃんがすきで。何らかの形で結ばれた絆が、欲しかった。それはもしかしたら、「コイビト」というありふれた展開でなくてもいいのかも知れない。
「人に必要とされるよーな人間や無いですよ、うちは」
そう云ってハエちゃんは、はにかんだように笑った。
「トンさんは、ええ人やし、男前やから、うちなんか相手にせんでも、もっとええ彼女が出来ますよ」
「でも俺は、青橋さんともっと一緒にいたいな。もっといろんな話をしてみたい。……駄目、」
何かに後押しをされているようで、俺は普段からは考えられないような科白が、すらすらと口を吐いて出てきていた。表情を崩したハエちゃんは、俺の眼を直視した。
「うちも、もっといろいろ話したいですよ。トンさんのことは、すきやから」
言葉は魔法だ。
否定的なことを云われていても、すき、という言葉を聞いただけで、こころが少し暖かくなる。それはきっと錯覚なんだろうけれど、それが続いていくうちに、光が見えるかもしれないことを期待してしまうのは、罪ではない筈だ。
「じゃあさ、その『トンさん』って云うの、止めようよ。後、敬語も」
調子付いた俺は、自分は「ハエちゃん」と呼ぶことに決めて、切り出した。いきなり名前では呼び難いと、ハエちゃんは俺に渾名は無いのか、と云った。渾名らしい渾名で呼ばれたことは、実際ほとんど無い。友人の大半が名前を呼び捨てにしてくるし、学校の連中は苗字に「さん」付けだ。唯一、本当の名前で呼ばれない時があると云ったら、最近依頼の来ないもう一つの仕事の内だ。其処では、誰もが必ず愛称で呼び合い、本名は決して判らない。俺も、仕事中は名前の字を読み代えて名乗っている。暫く考えた末、俺は『タケ』と呼ばれていることもある、と話した。
「じゃあ、タケ兄ちゃん」
何それ、と聞き返した俺に、ハエちゃんは大真面目な顔で答えた。
「だって、うちより四つも年上の人を、呼び捨てには出来ませんよ」
敬語は苦手やから、すぐに消えると思いますけどね。と云ってはにかんだハエちゃんは、とても可愛かった。
「年なんか気にしてたら、話しなんて出来ないよ。俺は、ハエちゃんと同じ位置に立って話がしたいから。いきなりは思えないかもしれないけど、同い年の男だと思ってよ」
それを聞いてハエちゃんは、笑った。
「そうやなぁ。タケ兄ちゃんは、十代みたいな恰好してるしなぁ」
それは、派手な日本語ロゴの入ったT-シャツに、草臥れたスニーカーとジーパンを履いて、ターバンを頭に巻いた、バンドマンな服装の俺を云ったのだろう。
ハエちゃんの云った「すき」は、完全に友達の領域を出てはいない。下手をすれば、彼女にとって俺は、単なるちょっと仲のいいバイト仲間なだけなのかも知れない。でも。ハエちゃんの笑顔を見てると、思うんだ。
焦らなくたっていい。ゆっくり、時間を掛けて親しくなれれば、きっと素敵なラストが用意されている筈だから。
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昭和末期。まだ、五百円札が使われていた時代の物語です。
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二十代半ば(から始めたこのブログ・・・2014年現在、三十路突入中)、大阪市東成区出身。
乗り物の整備をしている、しがないサラリーマン。
3度の飯より睡眠、パンクなライブ、電車読書、などを好む。
この名前表記のまま、関西小劇団で素人脚本家として細々と活動中でもある。
1997年頃~2006年ごろまで、「ハル」「サワムラハル」のHNで創作小説サイトで細々とネットの住民してたがサーバーダウン&引越しによるネット環境消滅が原因で3年ほど音信不通に。。。
あの頃の自分を知っているヒトが偶然にもここを通りかかるのはキセキに近いがそれを願わずにはいられない。
乗り物の整備をしている、しがないサラリーマン。
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あの頃の自分を知っているヒトが偶然にもここを通りかかるのはキセキに近いがそれを願わずにはいられない。
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